5月2日、前日と打って変って曇り空。天気予報は雨が降るとのことで、当初は近鉄で飛鳥駅まで行き、駅前でレンタル自転車を借りて移動しようと思っていましたが、仕方なく車で行くことにしました。
1日目と同じように国道24号線を下りますが、ガイドブックを見ると郡山から橿原の先まで京奈和自動車道が開通していました。(車のカーナビに載っておらず、旅に出る時は最新の地図ソフトを入れることをお勧めします。)
途中で雨が降り出しましたが、予定時間より早く明日香村に到着します。飛鳥歴史公園館の駐車場に3台目の駐車となりました。
雨も小降りとなり、傘を差して高松塚古墳に向かいます。標識はわずか800mとありましたが、実際に歩くと結構な歩きでがありました。(こんな時は自転車が良い…。)
最近、高松塚古墳は壁画にカビが付いたとかで騒いでいましたが、実際に行って見るとこんな古墳かと思うほど小さなもので、古墳が覆い屋に覆われて全体は確認できません。
古墳の隣りの壁画館で、壁画の模写や郭室の様子が分かりましたが、古墳が出来た当初はさぞや綺麗な壁画であったと思われました。
小雨は止んでおり、駐車場に戻ると小学生を乗せた観光バスで一杯でした。公園館で案内マップを確認し子ども達と前後しながら、 取りあえず鬼の雪隠と鬼の俎板に向かいます。

二つの史跡は案内板によると古墳の石棺であったと書いてありますが、どこにあったか今では定かでないようです。
しかし、こうした物をよく造ったものと思いました。それぞれ写真を撮って、次は猿石~亀石となりますが歩くのは大変であり、一旦、歴史公園館の駐車場に戻って車で回ることにします。
猿石は吉備姫王墓のそばにありましたが、亀石の方は民家の直ぐ傍に置かれており、
それぞれユーモラスな顔をしていました。
作家の司馬遼太郎氏ではありませんが、 古代の人はどんな思いでこんな石像を造ったのかと、思いを深くしました。
お天気の方は何とか持ちそうで、続いて石舞台古墳に向かいます。この古墳は蘇我の馬子の墓と言われており、最近も祭祀に関係した建物跡が発掘されたようで、古代史に興味を持つ人は一度は訪れたい場所だと思います。
車を近くの有料駐車料に停めて、拝観料を払い古墳の中に入って写真を撮りました。(改めて、明日香村の見学の際は、自転車で巡ることをお薦めします。)
一回りし最近出来たような休憩所で一休みしましたが、まだ、昼には早くメニューにコーヒーもありませんでした。仕方なく次の見物場所の亀形石像物と酒船石に向かいましたが、石舞台から車で10分も走らず到着しました。
亀形石像物は最近になって発見されたものですが、発見当時はTVや新聞で大きく報道されていました。
資料館の
有料駐車場に車を置き、ここも観覧料金と文化財保存協力金なるものを支払って、一通り見て回ることにしました。
亀形石像物は水を貯める小判形と亀形の石像物だけが見えており、遺跡全体は埋め戻しされてパンフレットを見る以外に当時の状況は分かりません。
もう一つの酒船石は、何に使うか分からない謎の多い石造物で、小山のようなところを登った竹やぶの中にあり、これかぁ~と言う感じで写真を撮ってから次の見学場所へ向かうことにしました。
観光マップを見ると、飛鳥板蓋宮遺跡(写真では左側の小山の手前の立ち木のあるところ)~蘇我入鹿首塚~飛鳥寺がそれぞれ近くにあり、歩いて巡ることにしましたがこれまた結構な道程がありました。(小さいとは言え古代の大和の国の首都ですから、当然、隣近所に出掛けるような訳に行きませんでした。)
古代ロマンに浸れる里と言いますが、疲れてくると現実に戻ってしまいます。飛鳥寺ではお寺の歴史など親切な説明があり、写真撮影もOKでした。(普通は中々写真を撮らしてもらえません。)
明日香村はどこかを掘れば何か遺跡が出てくる地域であり、最近の話題は蘇我氏の館跡とおぼしき場所が見つかったと言うニュースで、甘樫丘と言われる丘も飛鳥寺と目と鼻の先にありました。
この後は川原寺跡まで戻り、ガイドブックで紹介されていた麦とろろご飯で昼食としました。(これが最後の品だったようで、次の人からは普通のとろろご飯となりました。)
昼食後は聖徳太子が生まれた橘寺に参拝しました。お寺の太子堂の裏手にあった二面石の写真を撮りましたが、写っているのは善人の顔と言うことでした。
案内のパンフレットによると、往時は五重の塔も建っていた立派な寺であったそうですが、今はその片鱗すらなくどこの田舎にもあるようなわびしい感じのお寺でした。
明日香村はキトラ古墳をはじめ、まだまだ、数多くの史跡や見学場所が残されていますが、普段歩かない人間が2日間も歩き回り、疲れて来たこともあって奈良市内に戻ることにしました。
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