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2006年8月13日 (日)

長崎平和公園(4)

 被爆から61年目の8月9日も大変暑い日となりました。
 8時半にホテルをチェックアウトし路面電車に乗り込みましたが、築町で途中下車し空港に向かうバスターミナルに荷物を預け、再び、路面電車に乗り込み平和祈念式典の会場に向かいます。

 先ずは今回の祈念式典に向けて、大勢の皆さんに折られ預ってきた折り鶴を爆心地公園に献納しました。
P1000221P1000220 その後、平和公園内に設けられた式典会場に向かいますが、当初の予定通り9時半過ぎに会場に到着しました。
 平和祈念式典は10時半の開始でしたが、既に会場内は数多くの遺族や市民が着席していました。

 こうした遺族や市民の参列者は年々高齢化しているようで、活動の引継ぎが大きな課題になると指摘されています。
 自分たちは会場最後列に設けられた一般参列者の席を確保しましたが、今回も高校生を中心に市民ボランティアが大勢参加しており、冷たいお茶やおしぼりを配ってくれるのは大変有り難いことです。

 祈念式典は主催者や遺族代表のあいさつが続き、P1000223政府から小泉首相や川崎厚労相が出席していましたが、単なるパフォーマンスのあいさつで終わることなく、残された遺族や被爆者の立場に立って、被爆者援護法改正などに取り組んで欲しいと思いました。

 帰りの飛行機の時間もあり、祈念式典の途中から会場から離れ、築町のバスターミナルに戻ることになりました。幸い心配していた台風7号は大した影響もなく、飛行機の運航に問題なかった様でした。
 当初は、築町のバスターミナルから12時24分発のバスに乗り込む予定でしたが、ここで小さなトラブルが発生しました。

 要するにバスターミナルで乗客数が管理されていないため、24分発のバスが満車となって取り残されることになったのです…。
 今回は台風が近づき早めに移動していたため、特に問題ありませんでしたが、搭乗手続きギリギリで移動する場合は困ったことになってしまいます。
 バス会社の方でも乗車券を販売するだけでなく、乗車人員の管理位は出来るだろうと思いました。

 長崎空港に13時30分に到着。搭乗手続きを済ませ遅い昼食を取り、予定通り15時発のJAL1850便で東京・羽田に戻りました。何時も思うことですが、次に長崎に行く時はゆっくりとした旅をしたいものです。

長崎平和公園(3)

 2日目は朝から大変暑い日でした。今回、泊まったのはオランダ坂近くのホテルであり、P1000159直ぐ近くにグラバー園などもありましたが、滞在時間の関係もあって見に行くことは出来ませんでした。
 今日の午前中は、長崎平和公園を中心に原爆史跡を見学することにします。

 ご承知のように長崎市内には路面電車が走っており、市内移動に大変便利な交通機関となっています。今回の旅では路面電車の一日乗車券(500円)のクーポンが付いており、これを使って移動することになりました。

 ホテルの前から路面電車に乗り、途中で1回乗換えましたが約40分ほどで長崎平和公園に到着しました。公園内は明日の平和祈念式典に向けて準備が行われていましたが、小泉首相が参列することもあって物々しく慌しい雰囲気でした。

P1000162P1000161 数多くの観光客(自分たちも同じでしょうが…)に混じって公園を見学した後、浦上天主堂に向かいます。
 途中、カマボコ屋の面白そうな看板を見つけましたが、あいにくと店の方は閉まっており、出来立てのカマボコは口にすることが出来ませんでした。
 最近は地場産のカマボコなどのお土産を買って帰り、自宅で一杯やることが楽しみとなっています。(今回は帰りの長崎空港で飛び魚のカマボコなどを買い込みました。)

P1000164 1914年にロマネスク様式の大聖堂として建てられた浦上天主堂ですが、1945年の原爆で一瞬の内に破壊されてしまい、現在の天主堂は1980年に創建当時の形で復元されたと紹介されています。
 大聖堂の前庭に原爆で破壊された黒ずんだ石像が残されており、爆発の激しさの一端をうかがい知ることが出来ます。

 原爆は長崎市松山町の上空約500mで爆発したと言うことで、爆発した中心地は爆心地公園となっています。公園には中心地の標柱として黒御影石の慰霊碑が立てられていました。
 公園内に被爆当時の地層が保存されており、現在も見ることが出来ます。そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、三千度の熱で焼けただれたガラスなどが埋没していると言うことでした。

P1000167 P1000169

 この日の午後からは、原爆資料館で開催された集会に参加しましたが、韓国から徴用され日本で被爆したと言うコメンテーターの「現在、どこに住んでいても被爆したことに変わりない。日本政府は外国人であっても被爆者として認めるべきである。」と言う訴えは、大変、重々しいものがありました。

P1000196P1000183 集会の終了後、一端、ホテルに戻って一休みし、夕方から平和公園の平和の泉で開催された「平和の灯 キャンドルライトアップコンサート」に行ってみました。
 平和への祈りを込めて、市内の小学生や中学生などが作った約6千本のキャンドルが点灯され、平和への意識を受継いで行くと言うイベントでしたが、大変に幻想的であり印象に残った取り組みでした。
 小学生や中学生の代表による点灯式の後、小学生や社会人による合唱、プロのテノール歌手、外国から代表参加もありました。

 P1000209P1000208帰り道で爆心地公園に回って見ましたが、ここにも大変多くの市民が集まって慰霊祭が行われており、至極当然ですが今日の長崎は原爆犠牲者の慰霊一色となっていました。
 この後、市内中心部に戻って夕食となりましたが、遅くなったこともあり稲佐山からの百万ドルの夜景は次回の楽しみとなりました。
 

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長崎平和公園(2)

 福岡から長崎道を2時間ほど走って長崎市内に到着します。この日は長崎県立体育館で開催される集会に参加する予定でした。 P1000139_1
 集会は「HARU(ハル・南米音楽デュオ)」のミニコンサートで始まり、 「すべての人の心に花を…」と沖縄出身の喜納昌吉氏の持ち歌として知られる花が歌われたのは2年前の集会と同じでした。

 集会主催者や来賓の県知事・長崎市長のあいさつはいつもどおりですが、長崎県の集会の特徴として若い人たちが参加し、一生懸命に活動している様子が窺えることでした。
P1000154 高校生を中心にした「高校生平和大使」や「高校生1万人署名活動」の活動は、今年で9年目の取り組みと紹介されましたが、年々、この活動に参加する学校が増えているようです。

 今年の平和大使は長崎県内の39人、国内15都道府県と海外3カ国に留学中の高校生119人の応募があったと報告されていました。
 戦後61年が経過し戦争体験の風化が指摘される中で、こうした若い人たちの自発的な活動が、今後も継続されることを期待したいものと思いました。

 集会の中では被爆体験者のアピールが行われ、長崎の地を最後の被爆地にしよう!と言う訴えは大変感銘を受けた言葉でした。P1000156
 集会の最後を締めくくったのは、地元の皆さんが出演した構成詩でした。より多くの内容を盛り込み、多くの人々に平和への思いを伝えたいと言う気持ちは良く分かりますが、2年前の集会で初めて聞いた時に比べ、何故か冗長気味な感じを受けてしまいました…。
  

2006年8月12日 (土)

長崎平和公園(1)

 8月7日~9日の日程で長崎に出かけ、61回目を迎える原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加して来ました。

 8月7日、台風7号が日本に近づいており、帰りの飛行機が心配される中でしたが、旅の出発地となっている羽田空港・第1ターミナルに仲間とともに集まります。今回はあいにくと長崎の直行便が予約出来なかったと言うことで、羽田から福岡空港まで飛んで、福岡からはバスで長崎に移動する予定でした。

 長崎は思い出深い土地であり、10年ほど前の旅行の時に、台風接近で帰りの飛行機が羽田まで飛ぶことが出来ず、大阪まで飛行機で行き、その後、大阪から東京まで新幹線で移動することになりましたが、結局、新幹線の運行も台風で大きく混乱し、家にたどり着いたのが翌朝になったと言う経験があります。

 
JAL1713便は定刻通り12時15分に福岡空港に到着します。予定通り福岡空港からバスに乗り、長崎に向P1000137かうことになりましたが、長崎の到着時間の関係もあって昼食はバスの中の弁当となりました。
 個人旅行であれば、福岡空港の人気空弁「ふぐの押し寿司」と行きたいところですが、バスの中で配られたのは博多名物の明太子を使った弁当でした。
 写真の通り、明太子色のご飯が盛られ、もちろん明太子も付いていましたが、肝心の味の方は今一つの弁当でした。

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